認知症義母との二人生活

介護を放棄した義弟夫婦に代わって、義母を見守ることになった50代男の話です。

終わりは始まり

ブログは2年ほど更新していなかった。

この間の出来事。

昨年春、ブラック企業で働いていた私の長女が介護の援軍と私の会社に入社した。これで私の負担は軽くなった。

昨年秋、義母さんに胃がんが見つかり手術。

ステージ3で胃を全摘出した。

ひと月ほど入院したが抗がん剤は使用しなかった。

それでもひと月ほどの入院が認知症を悪化させた。

痩せたために体が軽くなって健康そうに見えた。

今年になって妻が土日に泊まりに来て面倒を見るようになった。

私は土日は完全に介護とは無縁になった。

しかし時間の感覚がなくなり、夜中に私のことを起こしに来てまいった。

3月頭頃、とうとう自分の娘(私の妻)のことを誰だかわからなくなり、施設入所の話が妻から提案される。

毎日会っている私のことはよくわかっているようだ。

そして義母さんは80歳になった。

 

4月28日の朝、妻から義母さんを今日施設に入れると言われる。

いきなりである。

そして実家(義母さんの家)にこれから住むという。

介護が終わったのだから私はこの家(義母さんの家)に住むべきではないし、そういった妻の態度は許せない。

 

どうするか....近所で一人暮らしをしている私の母と34年ぶりに一緒に暮らすことにした。

母には心配をかけて申し訳ないが、義母さんとの生活が終わり母との生活が始まった。

憔悴

義母と二人で暮らして5月6日で6か月だ。

この2か月は激動であった。義母さんは相変わらずだが、私の仕事が爆発した。義母さんと暮らして運周りが変わったのか、3年かけて種を蒔いてきたきた仕事が突然注目されYahoo!!のトップページを騒がすような事態にまでなってしまった。おかけで介護というほどのことはできず、ずいぶん義母さんには迷惑をかけた。覚えてないからいくらか気が楽だが...。

そしてピンチヒッターとして同居する要因になった娘の大学受験も無事終わり、第一志望の大学へ奇跡的にもぐりこむことができた。これも運を引いたかな。

仕事が忙しくなり、一人では回せないので義母さんの家の2階で仕事を続けるわけにもいかないし、娘の受験も終わりそろそろ次の段階かなと思っているのだが嫁が何も言ってこない。ちなみにこの6か月、嫁が実家に泊まったのは一晩だけ。このままずるずるするのもなんだし、もともとあかの他人の介護のために自分の人生を犠牲にするのはまずいよなあなどと思っていたら、義弟の登場である。

都内にマンション買って引っ越すので家においてある荷物を少しづつ持ち出したいらしい。2階の自室にいたところ義弟がやってきた。嫁が来ていたので義母さんと3人で話をすればいいかな、と顔を出さずにいたら義母さんと義弟が大バトル。仕方がないので一階に降りて義弟を見てびっくり。頭はきたないハゲ、ガリガリに痩せて皺だらけのシャツ、目に生気はない。くたびれた70の爺さんという感じである。

嫁と義母さんに手を伸ばしてきたので、蹴り飛ばしてやろうかと思ったが面倒になるかなと思い「警察呼ぶぞ!とっとと帰れ!」と追い返した。これでもローン組めるちゃんとした会社のサラリーマンである。仕事大丈夫か?

義弟が帰ったあと私が聞いていない話を嫁から聞いてびっくりした。

「マンションどこに買ったんだ?」

江東区らしい」

「豊洲かね」

「○○とかいうところみたい」

オールド江東区の地域である。

義弟夫婦は大宮のはずれにある会社から15分ほどのところに住んでいる。引っ越しで通勤時間は往復2時間は増えるだろう。仕事もせずにぷらぷらしている嫁がなぜ会社から遠くの縁もゆかりもないマンションに引っ越したがるのか?都心のタワーマンションならわからなくもないが、オールド江東区である。考えられるのはひとつ、義弟嫁は義弟と1秒でも長く離れていたいのではないか。義弟の憔悴が腑に落ちた。

 

 

三ヶ月

義母と二人で暮らすようになって昨日で三ヶ月たった。

最初の頃は結構気を使っていたが、最近は仕事も忙しいのでかなり手を抜いている。食事もあたたかいものを一品だけ作り、あとは出来合いのもの。ご飯は自分で大量に炊くので食事もなんとかなる。

夕飯の後、「先に寝てくださいねー」といって飲みに行くこともできるようになった。ただし言っても忘れてしまうのでホワイトボードに「飲みに行ってきますので先に寝てください」としっかり書いておかなければならない。(出かけるときこれがかなりプレッシャー(笑))それでも飲んでいると携帯に「お先に休ませていただきます」と3回くらい同じ電話がかかってくる。

しかしこういったことにも華麗にスルー出来るようになってきた。あまり気にしないし、心配しない。なるべく自分でできることは放っておく。実は義母さんのことは苦手である。昔から人間的にどうよ、とさえ思うときもある。だから深刻にならないし、要領よくやろうと思っているので実の親の介護より楽かもしれない。

心配しないので買い物にも行かせる。休日やデイから早く帰ってきた日には「義母さん、夕ご飯何かいいですか?食べたいものがあったら買ってきてくださいよ」といって2000円を渡す。すると一瞬申し訳なさそうにするのだが、楽しそうに出かけていく。私もその方が楽だ。

この間、病院にも一人で行かせてみた。ちゃんと診察を受けて薬をもらって帰ってくる。

お金の管理ができない。

料理ができない。

ごみが捨てられない。

薬の管理ができない。

だけである。いろいろ好きにしたらいい。

若いうちは「命あっての物種」だが、年寄りはいい具合に死ぬのが仕事。

「自由あっての物種」なのではないだろうか。

 

 

正月から日常へ

年末は2階で生活できるようにするなどバタバタしたが、正月は静かなものだった。

義母さんは元旦もゆっくり7時頃目を覚ましてきたので、

「あけましておめでとうございます!」というと

「あら知らなかった!お正月なの?!」の一言から一年が始まった。

昨夜、紅白を見たことなど忘れてしまうのだ。

しかし初日に向かって柏手をうち拝んでいるのがまた面白い。

 

私は正月はいつも実家だったので、生まれて初めて雑煮を作り、母からもらったおせちを盛り付けて簡単な正月料理とした。

三が日は来客などもありあっという間に過ぎ、明けて5日から私も仕事、義母さんもデイサービスへ行き出した。以前は「デイサービスは何もできない年寄りの行くところ、だから私は大丈夫!ディサービスには行かないで家にいる。」などと言っていたのだが言わなくなった。

 

年明け第2週の土曜日、義弟夫婦が残した荷物を片付けに来た。業者を呼びピアノはレンタル倉庫に入れるというので置いておいても良いと言ったのに持ち出すという。

荷物は義弟が書斎として使っていた部屋に押し込み鍵をかけた。

片付けが終わったのでもう当分用はないということで、義弟夫婦が1階の義母さんのところに挨拶にきた。

「かたずけが終わったので行くね、そのうちまた....」と義弟がいうと、

「おねがいします!おねがいします!」と頭をさげる義母さん。

「元気でね」か「やっぱりここで暮らして」というかと思ったら

「おねがいします....二度とこの家に来ないでください!」

唖然とする義弟が「でもこの家は半分俺の....」といいかけると、

「あなた長男でしょ!!こそこそ出て行くような真似をして!死んだお父さんになんていうの!」

呆然とする義弟をさえぎるように義弟嫁が「お母さん、興奮すると体に悪いから...」といいながら義弟を引きずってって帰って行った。

ディサービスに行かないと言わなくなったのは、この覚悟を決めたからだったのだ。

この日の翌日、私は同居後初めて雪山へ遊びに出かけた。

 

 

電話と対話

義弟さんはいますか?NISAの件なんですが....」

証券会社の若い女性からの電話だった。

「引っ越していませんよ」

そういえば義母が株についてしつこく言っていたので、

「義母の営業担当はあなたですか?」

「私ではありません、調べて担当と変わります」

30代後半と思しき男性と変わった。

「義母の資産状況について知りたいんですが」

認知症の義母から株のことをしつこく聞かれて弱っていること、資産の一覧を登録住所に送って欲しいことを伝え、義母に電話を代わり本人確認をし一覧を送ってもらうことにした。

「実は11/15日にお二人で来店されまして....」

え?

「義母さん!証券会社行ったの!?」

「あ、義弟と行った、N証券行った。なんか書類にハンコ押した...」

電話の相手はM証券なのだが、ずっとN証券に株を預けてると言っている。

「詳しくは書類をごらんください」

二日後、証券会社からの書類が届いた。証券会社にてっきり株は勝手に処分したと思ったが動かした形跡がない。家を出るとこちらに連絡した直後、二人で証券会社に行って何したんだ??

その後わかったことだが、証券会社で義母の口座から自分の口座に株を移そうとしたらしい。書類まで作って、贈与税がかかることを言われ、すごすご戻ってきたようだ。

義弟だがこういったことが抜けている。でも大学院まで行って有名な素材メーカーのエンジニアなのだ。家の鍵を変えたことに驚いて交番に飛び込み警察官に窮状を訴えた。でも警察官に「それ事件じゃないから」と言われたらしい。常識が欠落している上に、嫁が右といったら右、白といったら白と誠に情けない...

そんな義弟が叔父に泣きついて話し合いがしたいと言ってきた。叔父も引っ越しするのに荷物を置いていくのは??だったらしいが叔父の顔を立てて話し合いをすることになった。

話し合いの結果、二階の荷物を片付け使用してもよいということになった。家賃を払えと言ってきたので突っぱねた。叔父も株をやるので義弟のやろうとしていたことに気付き呆れていた。叔父は帰りに義母に会い、元気な様子を見てこの状態で施設に入れるの?話もできないのかと思っていたらしい。

これでようやく落ち着いて寝られるようになった。襖の向こうの義母の独り言を聞くのも限界だった。ここまで3週間、ヘトヘトだがまだまだ続くのだ。特にデイサービスが休みの正月をどう過ごすかである。

 

対抗措置と疑惑

義弟夫婦が夜逃げのように出て行ってしまったあと、とりあえず義母の居住部分の物干し部屋のようなところを仕事のスペースにし、夜は仏間に布団をしいて寝ることにした。義母は事情がよく飲み込めず憔悴しきっている。簡単な食事をつくってやり、色々と話をする。子供の話や、昔話で話題をつなぐが、結局義弟夫婦はどこにいったんだという話になる。「会社のそばに部屋を借りてそこに住むことになった」同じ話を一晩で20回ほど繰り返すことになった。

義母が寝た後、すこし仕事のチェックをしようと思ったが、いやがらせで義弟がネットを解約し、電話も持って行ってしまったのでテザリングで仕事をする羽目になる。

「くそー、やはり徹底的にやろう」

 

翌日、パパ友の弁護士に電話した。

「ご無沙汰してます。保育園、学童でご一緒したKです」

「はいはい、こちらこそご無沙汰してます」

「実は親族間でもめていてまして...」

これまでの経緯を説明し、義母の家の権利関係を付け加えた。

相談のポイントは2つ。

義弟の出て行った二階の部屋を義弟の同意なく使用して良いか

・今後面倒なことが起きないように成年後見制度を利用するにはどうしたら良いか

 

「義母さんが建物の所有者として一部でも登記されていれば、義母さんの許可で二階を占有、使用することはできます。義弟に所有権があっても抗弁できません。また損害賠償を求められても、自分で出て行ったのですから大丈夫でしょう。とりあえず使ってしまって向こうが訴えてきたら、こちらで措置をとるということでどうでしょう」

義母の家は、土地は義母のもので建物を義母と義弟が二分の一づつ所有している。

成年後見制度は親族にこうした対立がある場合、裁判所は後見人に弁護士か司法書士を選任します。するとお金もかかるので、もうすこし先でもいいのではないでしょうか」

さすがプロである。

「なるほどありがとうございます。ところで相談料ってどんな感じですか?」

「水くさいなあ。私の方で具体的に動くことになってからでいいですよ。頑張って下さい」

電話を切った後、念のため法務局へ向かった。義母の家の土地と建物の登記簿を取るとやはり、土地は義母の所有、建物が義母と義弟が二分の一、そして銀行の保証会社の抵当が付いていた。

これで安心して対抗措置に入れる。最初にしたのは鍵屋に電話をかけることであった。

鍵屋は1時間ほどでやってきた。

「玄関と勝手口のシリンダーを交換してくれ」

鍵屋は玄関と勝手口の鍵を調べると、

「玄関は2万5000円ですね。ここからは独り言ですけれど、勝手口のシリンダーはセキュリティ上の弱点になっているので使えなくするのがいいと思います。楊枝を鍵穴に入れて折ってしまえばOKです」こちらもさすがプロである。交換は5分で終わった。

対抗措置の第一弾完了。これで義弟は家に入れなくなった。

 

義母との生活は朝食事を用意し、デイサービスに送り出し、戻ったら夕飯というシンプルなものだ。温かい食事を用意し、根気強く同じ話につきあうことで義母はだいぶ元気になってきた。義弟夫婦とは一緒に食事もしていなかったようで、ネグレクト状態だったらしい。

義母の繰り返す同じ話の中で、「おとうさんの株券はどこいったんだろう?」というのがかなり頻度が高い。その度に「お母さん、もう株券制度は廃止されて株券は無くなったの。証券会社で株の持ち主としてしっかり登録されてるから大丈夫だよ」とはいうもののどこの証券会社に預けてるんだ?某大手印刷会社から義母宛に株主向けの来年のカレンダーが届いているので義母が株主であることは間違いないようだ。義弟からの申し送りはない。

そんなある日、メガバンク系の証券会社から 電話がかかってきた。

決断と誤算

義母との二人生活にあたって考えたことは3つだった。

・仕事は回せるのか?

今も客先や自宅で仕事をすることが多くなんとかなるだろう。3月には圏央道も開通し、都内への移動も車なら30分増で済む。最寄駅からはやはり3月に上野東京ラインが開通し、東京、新橋、品川へ乗り換え無しだ。池袋、新宿、渋谷へもそのままいける。面倒ならグリーン車を使えば良い。

・今の地元のコミュニティは?

現在の街に住んで20年、趣味や保育園・学童、飲み屋のコミュニティと離れてしまうのが惜しくもある。これは転勤と思い諦めよう。

・私に介護できるのか?

義母の状態にもよるが、家事全般は現在でもやっているのでできなくはない。しかし排泄や入浴の介助は無理だ。しかし入浴はデイサービスで済まして貰えばよい。

 

なんとなく義弟の行動に引っかかるものもあったが、できることはやろうとこの不思議な生活に踏み出す決断をした。

嫁から義弟にこちらで義母の面倒をみると伝えて一週間、義弟から12月6日に引っ越すと連絡があった。しかし義母に伝えると動揺するので当日まで伏せておくことにした。

 

義母の家は1.5世帯住宅である。玄関は1つ、風呂も1つだが2階にキッチンとトイレがあり義弟夫婦は2階に暮らしていた。義弟夫婦が引っ越した2階に入れ替わりに私が入るつもりでいた。12月6日になって嫁が「弟が2階を使わせないって言ってる」と言いだした。「2階に荷物を置いておきたい」

「はあああ!!!」

私はどこで仕事するんだ?どこで寝るんだ?????

嫁経由の情報では埒があかないので義弟に電話すると。

「荷物を残しておきたい。ピアノもあるし...」

「荷物を一つの部屋にまとめてもらって、ピアノは置いておいてかまわないよ」

「なんか家を取られてしまうような気がして...」

「家なんかいるか!それにお前が出て行くんだろう!」

「なんか信用できないなあ...」

くそーー、信用できないやつに実の母親を預けて出て行くのか!!

意地でもしっかり義母さんを介護してやる!

身内を敵に回したらどうなるか...徹底的にやろう!

そしてパパ友の弁護士に電話することにしたのだ。